マーロウならこう言うね

〈常識の溝〉と〈教養の壁〉に挑む、慶應通信教育(71期秋期)法学部乙類入学準備クロニクル。

渡部昇一先生の思い出。

こんにちは。ニコラシカ(@xaqihooo)です。今朝方の雨はひどかったですね。洗濯して乾したまま部屋に取り込み忘れていた、子ども部屋のプレイマットがぐしょぐしょになって、端っこに泥がついてしまってました。せっかく洗ったのに。
今日も息子体調よろしくなく、ぼくが付き添っています。仕事は溜まっていますが、会社のことは代替可能でも、自分の子どもの世話はそうではないですからね。


志望理由のつづきを考えようと思っていたら、この記事が飛び込んできました。
www.sankei.com

本紙(産経新聞:引用者註)正論メンバーで第1回正論大賞を受賞した英語学者・評論家で上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)氏が17日午後1時55分、心不全のため東京都内の自宅で死去した。86歳だった。

ぼくが雑誌編集者としてはじめて記事をまとめたのが、渡部昇一さんから受けた日本現代現代史(昭和史)の話でした。
ある雑誌の創刊号の巻頭記事。そうとは知らずに(というか知らされずに)、吉祥寺のホテルで先生と、編集長、発行人とぼくの4人で会食をしたのです。ふとテーブルの上に、レコーダ(TDKの60分テープが入っていた)が置かれているのに気づきました。
えっ、これは取材?

と思ったら、編集長から雑誌創刊の案内があり、ついては渡部先生に連載をということで、ジャーナルなテーマから昭和史に展開するといった体でお願いしたのです。
その第1回目は、たしか満洲事変に関することだったんじゃないかな。

でもそのときは会食というのが主旨であり、じつは話はそのついでみたいな感じでした。会話の録音状態もよくないし、話自体もあちこちにとんでいました(しかしその場の会話としてはとても面白かったのです)。
翌日編集長から「昨夜の先生との話、ちょっとまとめてくれないか」と指示があり、ええっ!? とひるみつつ、ひとまずまとめてみることにしました。

数時間後にひとまず体裁を整えた原稿を編集長に手渡すと、「おお、あんな話からよくここまでまとめたな」と褒められたことを覚えています(数少ない褒められた思い出なので、プチ自慢しちゃいます)。
それから毎月、渡部先生と会食しつつ、歴史の話を伺いました。少なくとも2年以上は続いたのだと思います。
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ぼくは彼の〈思想〉にはあまり馴染めませんでしたが、いくつかのことは大変勉強になりました。このブログのテーマに沿って開陳するなら、彼の勉強方法についてです。

わりと有名な話ですが、渡部さんは勤められていた大学まで毎朝タクシーを使われて出退勤されていました。タクシーを使う理由はその中で勉強するというのです。ただ漫然と満員電車に揺られていくのではなく、通勤時間を勉強時間ととらえ、その時間に〈投資〉する。タクシー代は投資代でした。

もうひとつ、古稀を迎えられてから、渡部さんはラテン語の勉強をはじめられた。その理由を聞いたところ、曰く、老いて手足が動かなくなることは脳が衰えていくのに若(し)くはなし、とのこと。

まだまだ先生との思い出はありますが、それは大事にしまっておこうと思います。
駆け出しの若造編集者にも、いつも優しい先生でした。

謹んで、ご冥福をお祈りします。